スロースターター

「そんなの当たり前」と思うようなことを、ちょっと違う視点・筋道で見直すためのメモです。

とんかつ屋に行った話

入店

 まだ寒い3月半ば、都内のとんかつ屋に行った。

 たまたま通りがかったその店は、午後3時にもかかわらず席が埋まっている。店の名前で検索して、行列の理由がわかった。月末に閉店するのだ。店じまいを惜しむ客が多い即ち美味い、と単純に思った私は、ここで夕食をとることにした。

 

 夜に再訪すると、店の外まで行列が伸びている。ただ回転は早いようで、10分もたたずに入店。暖かい空間に入れて落ち着ける・・・と思ったのも束の間、店内の張り詰めた空気に私は気圧された。

 席はカウンターのみで、そこに直結した調理場で男性3人が忙しく、黙々と動いている。60代の店主(おそらく)と、それぞれ60代、40代の料理人2名。いずれも愛想笑いがないどころか、眉間にシワを寄せて険しい表情だ。なんだか、お客を疎ましがっているようにすら見える。そんな様子を感じとってか、カウンター席に座っている客、順番を待っている客の背中は強張っている。声もほぼ発していない。一人客ならともかく、連れだって来ている人たちも会話を抑えている。

 

緊張感のわけ

 不意に、「とんかつ?」と店主の問いかけが飛んだ。列の頭にいた客が「はい」とうなずく。続けざまに隣の客へ同じ質問、応答。そんなやりとりが列尾まで続く。どうやら、カウンターへ移る前の客から一括でオーダーを取るシステムらしい。メニューはとんかつ定食・ひれかつ定食の2つしかないから、そのやり方が一番手っ取り早いのだろう。

 この注文も、くせものだった。「ひれかつで」と答える客がいると、店主は露骨に面倒くさそうな顔をするのだ。余計な手間を増やすんじゃねえ、と言わんばかり。小心者である私のディナーは、とんかつ一択になってしまった。

 しかもこれ、軍隊の点呼みたいな速度で飛んでくるので気を抜けない。最初の「とんかつ?」に気づかずスマホをいじっていた客は、二度目、苛立ちの「とんかつですかー!?」を食らっていた。次のトップバッターとなった私は、いつ合図が来ても反応できるようにスタンバイし始める。スマホはしまい、目線と意識は店主へ。表情が固くなり、背筋が伸びる。店に入った時の緊張感の正体がわかった。

 

そこまで・・・

 注文という関門を突破して、カウンター席に座った。ここでも皆、知らない親戚の家に連れてこられた小学生のようにおとなしい。まず熱いお茶、次いで味噌汁、ご飯、最後にとんかつが提供され、それらを黙々と腹に流し込んでいく。

 お茶のおかわりを頼んだ人がいて、店員は渋々注いでいた。ここまでくるともう、ですよねとしか思わない。「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」という言葉も、煩わしさ全開の棒読み。そしてトドメは、隣の客が食べ終わった皿をカウンターの上段に載せようとした瞬間。

「いいですいいですそのままで!危ないんで!!」

わかってない奴が下手に動くな、かえって面倒なことになるんだから、とばかりに拒まれた。

 ラーメン屋でよくやるような気遣いさえも、ただの余計なこと、迷惑行為として一蹴された。そこまで徹底して冷淡なのか。肝心のとんかつを味わう余裕もなく、なんかすごい店に来ちゃったな・・・と異文化にふれた驚きに浸りながら、代金を払い、店をあとにした。

 

 店員-客関係を見直す

 このように店員が客と接する仕方には面食らったが、なんて古臭い店だと文句を垂れたいわけでも、職人気質なシブイ店だと褒めたいわけでもない。私が受けた軽い衝撃、それが何を意味しているのかを考えてみたい。

 私が日頃行く飲食店の多くでは、店員は元気に「いらっしゃいませ」を言い、微笑みを保ち、目を合わせて「こちらにどうぞ」と席を案内する。「お待たせいたしました」と料理を運び込み、最後は「ありがとうございました」。こんなふうに随所で、あなたがた(客)を歓迎しています、という姿勢を示している。こちらが話を聞き逃しても、再び、何事もなかったように説明してくれる。「ご注文はお決まりですか?」に首をふると「では、お決まりになりましたらお声がけください」、「この食材を抜いてほしいんですが」という要望には「かしこまりました」、「お会計はご一緒ですか?」などと、こちらに選択の余地を与えてくれる。食後の器を店員に届きやすいところに置く、ゴミを自分で処理するなど、こちらの配慮は的確か否かに関わらず、「ありがとうございます」と受けとめてくれる。

 こうした店員の行為パターンから、とんかつ屋のそれは尽く外れていた。客と顔を合わさず、苛立ちの表情。投げ捨てるような言葉。注文など、店側のやり方には有無を言わせず従わせる。従わない行動は、それが善意によるかどうかに関係なく、余計なものとして両断する。一言でいうなら、「おれたちの店なんだ、おれたちのやり方でいく」という一方的な態度だ。私は、お客様としてもてなし、もてなされるという「店員<客」関係に慣れきっていたために、とんかつ屋が打ち出す「店員>客」の主従関係のようなものに当惑したのだ。

 このとんかつ屋のやり方は、一見すると奇妙だし、不合理だ。「接客が悪い」とケチをつけられそう。しかし、作業効率(時間あたりの所産)の面では理にかなっているともいえる。客の意見は聞かずになんでも店で主導したほうが、注文にしろ提供にしろ会計そのほかにしろ、短時間・少ない労力ですむだろうからだ。

 奇異で煙たがってしまいそうな習慣・手法にも、おそらく理屈が通っている。食事をつくり、提供する以外に余分な仕事を増やすことこそ、本末転倒じゃないのか?そう言われたら、今度は当たり前だと思っていたスタイルのほうが揺らぎ始める。どちらが良い、悪い、という話ではない。自分たちがふだん取り交わす行為や関係が絶対でも最適でもない。とんかつ屋は、それを具体的に教えてくれた。

 

・・・振り返ってみると、私と同じように、店員さんもある程度当惑していたのではないか、と思う。これまで来なかった層が、口コミサイトなどの評判を見て店に押し寄せてくる。私のように気配りの効いたサービスに慣れた人たちが、細かい要求を投げてくる。異文化に相対して、とんかつ屋の人たちも困っていたのかもしれない。そうした客の流儀に飲まれぬよう、ぶっきらぼうさに拍車がかかったのかも。何事もお互い様ってことですね。